1580年(天正8年)
創業期
1592年(文禄元年)
久代屋 創業
1615年(慶長20年)
伊達秀宗公 御用商人として宇和島入り
1615年~1868年(藩政時代)
三間屋から新津へ
1868年~1912年(明治時代)
廃藩置県
1912年~1927年(大正時代・昭和初期)
台湾・朝鮮半島との交易
1928年1月(昭和 3年)
合資会社新津商店 法人組織、初代代表社員 新津重雄 就任
1939年(昭和14年)
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発
1940年7月(昭和15年)
2代目代表社員 新津三郎 就任
1945年5月~8月(昭和20年)
終戦
1945年~(戦後)
戦後そして総合商社へ
1957年3月(昭和32年)
松山出張所 開設
1963年11月(昭和38年)
新津砕石工業 設立
1964年9月(昭和39年)
宇和島生コン 設立
1967年1月(昭和42年)
資本金を190万円に増資
1970年11月(昭和45年)
資本金を380万円に増資
1971年3月(昭和46年)
松山出張所から松山支店へ
1972年11月(昭和47年)
新津硝子 設立
1974年7月(昭和49年)
愛新運輸 設立
1978年6月(昭和53年)
プロテクトサービス 設立
1980年1月(昭和55年)
新津建工 設立
1992年1月(平成 4年)
3代目代表社員 新津昌雄 就任
1994年8月(平成 6年)
全食センター 設立
1998年4月(平成10年)
合資会社新津商店 新居浜営業所 開設
2001年6月(平成13年)
昇龍運送 参入
2002年8月(平成14年)
川内コンクリート工業 設立
2003年3月(平成15年)
シンツ石油 設立
2007年11月(平成19年)
社名並びに組織変更
2012年3月(平成24年)
4代目代表取締役社長 村上髙志 就任
2013年3月(平成25年)
愛新運輸・昇龍運送 統合
2014年2月(平成26年)
新津砕石工業 吸収合併
2014年3月(平成26年)
ゼンショク 吸収合併
2016年3月(平成28年)
名門サカイ 参入
2016年4月(平成28年)
八幡浜生コンクリート 参入
2016年6月(平成28年)
資本金を3,800万円に増資
2016年12月(平成28年)
新日本通商 参入
2020年(令和2年)
創業440周年
2020年6月(令和2年)
資本金を5,000万円に増資
創業期
1000

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SHINTSU 440th ANNIVERSARY SINCE 1580

株式会社シンツ
創業からの歴史
当社は、今年創業440周年を迎えましたが、“夢のカタチ”は時代と共に変わり続けていきます。
次の時代に向かって、地域社会と一体となった“夢のカタチ”をご提案してまいります。

創業期

  • 江州坂田郡橋本村(現在の滋賀県長浜市泉町)の『橋本』という武士が、織田信長に滅ぼされて近江から豊後を経て宇和島に落ち延びた後、商才と腕っぷしの強さを認められ、米を主に扱う廻船問屋『三間屋(みまや)』に養子に入る。
    ※橋本氏は織田信長に滅ぼされた浅井長政(1573年没)の家臣という説が有力で、1569年北近江の一揆・1570年姉川の戦いで藤堂髙虎と共に織田勢と戦う。

久代屋 創業

  • 鳥羽氏一門が、『名門サカイ株式会社(現シンツグループ)』の前身となる『久代屋(くしろや)』を京都にて創業。

伊達秀宗公 御用商人として宇和島入り

  • 宇和島藩に伊達秀宗公(伊達政宗)が入部する
  • 鳥羽氏一門が京都から秀宗公の御用商人とし宇和島入り。後に酒造業を始める

1615年~1868年:三間屋から新津へ

  • 『三間屋』は2隻の貨物船を所有し、おもに米・乾物を京阪神方面に運び廻船問屋として交易を伸ばす。現在の宇和島市栄町港付近に出来た“新しい港”を管理する『番所』を作る。そこには、藩の税関のようなものがあり、当時、藩の年貢米を一手に扱っていた『三間屋』はそこの管理を任される。その功績を認められ“新しい港”の意である『新津』の名をもらって『三間屋』から『新津』とし新しい屋号で商いを始める。

1868年~1912年

  • 廃藩置県が行われ、社会が劇的に変化する。
  • 藩政当時の藩札は使えなくなり、社会に不満が蔓延し、藩主は藩札の処理に追われる。
  • この時『橋本』家の『橋本郷右衛門』は新津家の協力を得て藩札の処理を行う。
    (橋本家・新津家は資産売却し協力)
  • 『橋本』家は代々宇和島伊達家の藩士であり、勘定奉行をはじめ様々な奉行職を務めるなど、伊達家に大きく貢献した一家である。
  • 『橋本郷右衛門』は、京都所司代など在京の幕府役人や朝廷に対する宇和島藩主の公式な代理人で、京都詰めの宇和島藩士の元締め役でもあった。
  • 新津家の前身である『三間屋』に養子に入ったとされる『橋本』家より四男重雄(後の合資会社新津商店初代代表社員)が新津家へ養子に入る。

1912年~1927年:台湾・朝鮮半島との交易

  • おもに台湾米や朝鮮米を扱って交易を伸ばす。当時は大型の貨物船を五隻保有し、行きは台湾・韓国にセメントを運搬、帰りに買い付けた米・砂糖他を国内で販売。
  • この頃に総合商社としての基礎が作られた。

1月:合資会社新津商店 法人組織、初代代表社員 新津重雄 就任

  • 合資会社新津商店として資本金95万円で法人組織する。
  • 初代代表社員に新津重雄(しんつしげお)が就任。

7月:2代目代表社員 新津三郎 就任

  • 2代目代表社員に新津三郎(しんつさぶろう)が就任。

5月~8月(終戦)

  • 宇和島は造船所・予科錬施設があった為、9回にのぼるすさまじい空爆を受ける。戦災による焼失面積は1,312ヘクタール(397万8千坪)、実に市街の70%に相当。新津家は居住家屋、事務所、倉庫、蔵、商品はもちろん、5隻の大型貨物船はすべて沈められる。

戦後そして総合商社へ

  • 復員してきた6人ほどで細々と事業を再開するが、しばらくは売る物もなく、苦悩の時代が続く。今後の事業を新しい発想で一から見直す必要に迫られる。戦前栄えていた宇和島港の機能は著しく低下し、輸送形態は海上から陸上へ移る。主力で販売してきた米の販売をやめ、廻船問屋から大きく事業転換を図ることを決断。
  • 三井物産の指導・協力・紹介を受け、三井製糖、日本製粉、日本配合飼料、豊年製油、吉原製油、ゼネラル石油、新日鐵高炉セメント、小野田セメント、三井鉱山、三井海上火災等の代理店となり、三井物産色を強め、本格的に総合商社として歩き始める。

3月:松山出張所 開設

  • 『合資会社新津商店 松山出張所』を開設。

11月:新津砕石工業 設立

  • 『新津砕石工業株式会社 (現 砕石事業部)』を設立。

9月:宇和島生コン 設立

  • 『宇和島生コン株式会社』を設立。

3月:松山出張所から松山支店へ

  • 『合資会社新津商店 松山出張所』を『合資会社新津商店 松山支店』に変更。

11月:新津硝子 設立

  • 『新津硝子株式会社』を設立。

7月:愛新運輸 設立

  • 『愛新運輸株式会社(現、愛新物流株式会社と統合)』を設立。

6月:プロテクトサービス 設立

  • 『株式会社プロテクトサービス(現、株式会社シンツ保険サービス)』を設立。

1月:新津建工 設立

  • 『新津建工株式会社 (現 シンツ建工株式会社)』を設立。

1月:3代目代表社員 新津昌雄 就任

  • 3代目代表社員に新津昌雄(しんつまさお)が就任。

8月:全食センター 設立

  • 『有限会社全食センター(現、株式会社シンツ今治出張所)』を設立。

4月:合資会社新津商店 新居浜営業所 開設

  • 『合資会社新津商店 新居浜営業所(現、株式会社シンツ 新居浜営業所)』を開設。

6月:昇龍運送 参入

  • 『昇龍運送有限会社(現、愛新物流株式会社)』がシンツグループに参入。

8月:川内コンクリート工業 設立

  • 『川内コンクリート工業株式会社』を設立。

3月:シンツ石油 設立

  • 『合資会社新津商店 石油部』を分離独立し、新たに『シンツ石油株式会社』を設立。

11月:社名並びに組織変更

  • 『合資会社新津商店』を『株式会社シンツ』に組織変更、並びに社名変更。

3月:4代目代表取締役社長 村上髙志 就任

  • 4代目代表取締役社長に村上髙志(むらかみたかし)が就任。
  • 『松山支店』を『松山本社』に改称。

3月:愛新運輸・昇龍運送 統合

  • 『愛新運輸株式会社』と『昇龍運送有限会社』を統合し、社名を『愛新物流株式会社』とする。

2月:新津砕石工業 吸収合併

  • 『新津砕石工業株式会社』を吸収合併し、『株式会社シンツ 砕石事業部』とする。

3月:ゼンショク 吸収合併

  • 『株式会社ゼンショク』を吸収合併し、『株式会社シンツ 今治出張所』とする。

3月:名門サカイ 参入

  • 『名門サカイ株式会社』がシンツグループに参入。

4月:八幡浜生コンクリート 参入

  • 『八幡浜生コンクリート株式会社』がシンツグループに参入。

12月:新日本通商 参入

  • 『新日本通商株式会社』がシンツグループに参入。

創業440周年

  • 創業1580年(天正8年)より440周年を迎える。